12月18日 突然の解雇
それは突然のできごとだった。
私は、12月18日、成績不良を理由として勤務先から解雇を言い渡された。
既に次の勤務地が決まっており、必要な挨拶も済ませ、後は行くだけの状態だった。
自分の中では、理想のコースを進んでいると思っていただけに、突然の解雇は言葉にできないくらいショックで、悔しくて、みじめで、声を上げて大泣きした。
こうした事例が過去にあったことは聞いていたが、まさか自分がそうなるとは、夢にも思っていなかった。
唯一の救いは、自分の中に闘志が残っていたことだ。
「同期の連中にバカにされてたまるか!」
「転んでもただでは起きるか!」
自分の中に湧き上がってくるこうした感情のおかげで、私はかろうじて正気を保っていることができた。
12月19日 消去法の末に
解雇通知を受けた翌日、頭の中はまだ混乱していたが、次の一手を考えなければならない。
意図せずして仕事を失ったが、自分の人生の中で、まとまった時間が取れる最後のチャンスであることは薄々気が付いていた。
「この時間を使って、同期の連中には得られない何かを身につけよう。」
そう考えたときに、最も自分の武器になりそうなものは語学だった。
問題は何語を勉強するかだ。
世界のビジネスは英語で動いているが、英語という選択肢は最初に外れた。なぜなら、英語が堪能な同期は掃いて捨てるほどいたし、同じ方向に進んでも、自分の強みになりにくいと考えたからだ。
本やインターネットで情報を収集し、消去法の末に残った候補は、中国語とミャンマー語の2つだった。
困ったときはプロに聞くのが鉄則だ。仕事で世界中を飛び回っている親戚に電話し、アドバイスを求めた。親戚が教えてくれた内容は次のとおりだった。
・中国でもミャンマーでも、国際的なビジネスは英語で動いている。
・東南アジアでは華僑がビジネスを担っており、中国語は中国以外でも使う機会がある。一方、ミャンマー語は使える場面が限られている。
・日本と中国との関係は、今後ますます密になるか、戦争になるかのどちらかである(今の状勢からすると、密な関係になりそうだ。)。
親戚の話を聞いて、私の気持ちは中国語に傾いた。
続いて、シンガポールで働いている学部同期に相談したところ相談したところ、次のような回答が返ってきた。
・英語が通じにくい国(タイやインドネシア)では、現地の言葉を知っていると役に立つ。
・中国語は王道だが、話せる人が増えてきている。
・語学は所詮道具に過ぎず、求められるのは実務能力である。
同期に相談した際に、ふと、大学院の先輩で、上海で働いている人がいるという話を思い出した。連絡先を知らないので、知り合いに連絡し、間を取り持って欲しいと頼む。
知り合いに連絡する度に、「お久しぶりです。会社をクビになりました。」と説明して回るのは気持ちが良いものではなかったが、四の五の言っている余裕は全くなかった。
私の人生がかかっているのだ。
内心は、これだけ大変な目に遭っているのだから、親切にしてくれない方がおかしい、くらいの気持ちでいたのだが、みんな本当に親切だった。忙しい人ばかりなのだが、すぐに対応してくれて、長文のメールで励ましてくれる人もいた。
12月21日 周囲の反対を押し切って
私は当初から、中国語ならば中国に、ミャンマー語ならばミャンマーに語学留学するつもりでいた。
留学することで、様々な雑用に振り回されることなく、日常生活を含めたすべての時間を語学の勉強に割くことができるからだ。
もちろんこれは表向きの理由で、心の底では、「これ以上日本にいたくない。」「同期と顔を合わせたくない。」という思いがあった。
数日の間、情報収集に追われた。
私が置かれた状況を知っている人ほど、私の海外留学に反対した。学部や大学院の先輩からは、
「語学力が将来武器になることは認めるが、今の状態で行くことはやめた方が良い。」
「現実逃避をしているだけではないか。」
「遊びに行くようにしか見えない。」
という厳しい言葉を頂いた。また、直属の元上司にも会って相談したが、次のとおり、やんわりと止められた。
「早まる気持ちはわかるが、クビになった理由を見つめ直して、今やるべきことをよく考えた方が良い。」
元上司の指摘は、正論過ぎるほど正論だった。
ただ、私は、今回の解雇は、自分の能力不足というより、不幸な偶然が重なって起こった「もらい事故」という感覚でいたので、元上司の助言を素直に聞くことができなかった。
結局、私が相談した人の半分以上は、私が中国に留学することに反対したが、私は、中国に行くことを決心した。
私は、周りの人がどんなに反対しても、「今しかない。飛び出せ!」という心の叫びに抗うことができなかった。
人は、10人の人に反対されても、100人の人に反対されても、1000人の人に反対されても、やらなければならないことがあるという。
これまで私は、人に敷かれたレールの上を走っているような気がしており、人の反対を押し切って何かをした記憶がなかった。
会社をクビになったのは、レールから外れて自分の道を探せ、という啓示のような気がしていた。
自分で進む道は自分で選ぶ。悪い結果となっても、自分の選択に責任を持つ。
解雇通知を受けてから4日目、私の人生は、全く別の方向に進み始めようとしていた。
12月22日 中国留学のアドバイスを求めて
留学を決めた私は、世界中を飛び回っている親戚に直接会いに行き、話を聞いた。その親戚は、海外に長期滞在していることが多いのだが、たまたま日本に戻っていた。
彼は、私が知る限り最も多くの言語を話す人で、中国語もネイティブと間違えられるレベルだ。
私が、ニーハオとシエシエしか話せないが中国に語学留学に行きたいと言うと、北京語言大学を勧められた。ここに行けばまず間違いがないし、多くの中国語教師も北京語言大学を勧めるとのこと。
語学留学というと、語学学校に通うイメージがあったが、中国では、大学が外国人向けに中国語の講座を開いているとのことだ。
また、北京語言大学では、私のように中国語が全くできない人も受け入れてくれるとのこと。
北京語言大学は、事前に見ていたインターネットや書籍でも何度か目にしていた。
親戚の太鼓判が得られたので、まず間違いはないだろう。北京語言大学が第一候補となった。
親戚から注意事項として何度も念を押されたのは、
絶対に日本人とつるまないこと
だった。
日本人は、日本人同士でグループを作って群れる傾向が強いが、日本人と仲良くしていたら語学は伸びないとのことだった。
私はその言葉を胸に刻んだ。その頃はちょうど反日活動が盛り上がっている時期だったので、親戚は生活上の注意事項も教えてくれた。
日本人はブランドものの服を着て目立ちやすいので、服は現地で調達して目立たないようにすること。
大学内にスーパーから床屋まで何でもそろっているので、大学の中だけで生活ができる。反日活動が盛んなときは、大学の敷地から出ないようにすること。
親戚の助言は本当にありがたかった。留学の話が一気に具体的になってきた。
(追記:留学から帰ってきた今も、北京語言大学を選んで本当に良かったと思っている。中国留学を考えている人にも是非オススメしたいと思う。)
12月23日 北京語言大学の願書の締切りが迫る
私は、北京語言大学の留学を取り扱っている仲介業者をインターネットで探した。
電話で問い合わせたところ、1月4日が留学申込の最終締切りで、期限が迫っているという。
年末を挟むので、必要書類をすぐに準備しなくてはならない。
12月25日 卒業証明書をもらいに大学に行く
久しぶりに大学に行き、英文の卒業証明書を取得した。平日の日中に動けるのは無職の強みだ。
10日前まで、自分が中国に留学するなんて想像もできなかった。
久しぶりに大学の構内を散策したところ、大学生時代の記憶がよみがえってきた。
私は10年前、大学で、フランス人の教師に中国語を習っていた。
その意味で、全くの中国語の初心者という訳ではないが、学部前期はほとんど勉強をしなかったため、ニーハオとシエシエ以外は何も覚えていない。
当時の私は、限りある時間(=命)を無駄にすることはできないという考えに取り憑かれており、教養などという空虚なものに時間を割いている暇はないと考えていた。
そのため、大学の合格通知を受け取った時から、授業には出ないと決めており、最初の学期から、単位が取りやすいと言われている科目を厳選して登録し、授業は欠席して試験だけを受けた。
第二外国語の授業は出席回数が定められていたが、テキストの訳文と設問の回答が何種類も出回っていたので、それを持って椅子に座っていれば良かった。
私の周りでは良くある話で、当時は珍しいとも何とも思っていなかった。
しばらく見かけない友人に、「来週試験があるけど知ってる?受けないと留年だよ。」とメールをすると、それだけで大変感謝された。
友人達は、空いた時間を使ってサークルやバイトに明け暮れていたが、私は一切バイトをせず、平日土日を問わず、大学の図書館に閉館時間まで籠もっていた。
あの2年間が何だったのか、自分でもよくわからない。
当時、将来中国に留学するとわかっていたら、もっと真面目に中国語を勉強していたかもしれない。ただ、自分で選択した道なので、後悔はしていない。
12月31日 留学計画と所信表明
怒濤のように過ぎ去った10日間だったが、何とか留学の目処が付いた。来年の計画と所信表明。
1年間のスケジュール
- 1~2月 バイトと就職活動
- 3~7月初旬 北京語言大学に短期留学
- 8月中旬 北京にいるが、何をするかは未定
- 9月~11月 帰国して就職活動
留学の目的と目標
2月末~7月初旬にかけて、北京語言大学に語学留学することにした。中国語を選んだのは、
- 英語圏の留学者は非常に多く、将来どれだけアドバンテージになるかわからないこと。
- 英語圏以外で留学しようと考えたときに、ビジネスにおいては中国語のニーズが一定程度存在すること。
- 語学の学習環境が整っていること。
留学の目的は、
- 将来中国ビジネスに進むため、といったものではなく、自分の武器を一つ増やしておくといった程度。
中国に留学した経験がある高校の同期に話を聞いたところ、
・ビジネスレベルの中国語を習得するには2年程度必要。半年間の留学ではいかにも中途半端。
・大きなものを得ようと思って留学して、失望して帰ってくる人が山ほどいる。ただ、将来中国に関わる際に、大きなとっかかりになるのは間違いないので、今回はそのとっっかかりを作る程度に思っていた方がよい。
とのこと。実際そうかもしれないと思い、過度な期待をせずに行く。もちろん、中国では頑張るつもり。
留学の目標は、
- 中国で半年間の課程を修了しても、何の資格が得られる訳でもないので、HSK(中国語版TOEIC)を受ける。
- まずはHSK5級取得を目標にする。
ちなみに、北京にいる知り合いに話を聞いたところ、
半年間留学すれば、HSK5級(HSKは初級の1級から最上級の6級まで6段階に分かれている。)は取れるようになり、周りを見ると、半年で6級を取っている人も存在する。
とのことだった。
研修について
語学留学後にビザが1か月分余る。もし現地で研修先が見つかれば、研修をしてきたいと思っている。実際はなかなか見つからないかもしれない。
見つからなければ、1か月間語学学校に通うことを検討する。
(追記:実際は、1か月間現地の語学学校で勉強した。)
就職活動について
無職になったので、再び就職活動をする必要がある。上海で働いている先輩に話を聞いたところ、
中国で働くことは、2つの理由から薦めない。
①給料が安い。年収200~300万円程度。
②日本での基礎がないと実務に対応するのは厳しい。加えて、中国は政治・人で動く。ビジネスは学べるかもしれないが、専門知識は身につかないかもしれない。
それでもやりたいならば、いくつか候補を教えるので履歴書を送るとよい。現地では日本人も結構働いていているが、営業をさせられる可能性が高く、実務能力がつくとは限らない。
とのこと。
もし中国で経験になりそうなことが見つかれば、そちらで働くかもしれない。この点については、継続して情報を収集する予定だ。